イケダハヤトと高城剛について あるいは現代日本の出る杭の話
イケダハヤトと高城剛の価値観が好きだ。
イケハヤ氏についてはツイッターで知り、何なら記事があったらブログも読む。
彼のファンになってもう1年以上になる。
彼を批判するツイートやまとめ記事も読む。炎上記事も読む。
彼が推しているはあちゅうも彼のツイートで知り、フォローしてこれまたファンになりつつある。Lineの役員、田端氏についても同様。
彼の著書は一番有名であろう『まだ東京で消耗してるの?環境を変えるだけで人生はうまくいく』幻冬舎新書 2016年
を読んだ。
今後も彼の本を色々読む予定。Kindle含め。
高城剛については(古くからのファンの方には恐縮だが)例の一件で知ったにすぎない。
つまり沢尻エリカとの結婚だ。
完全にミーハーだが、高校からの友人が彼の大ファンということで興味を持っていた。
ある日高城剛botというものを発見し、そこから彼がどんな考え方を持っているのか輪郭を掴み、徐々に彼個人をより知りたいと思うようになった。
人生の分岐点にたった時、情報を収集するのではなく、徹底的に自分と対話し決断するのです。直感を信じる事です。グーグルはその直感を補強するための便利ツールにすぎない。
— 高城剛 (@takashiro_bot_) 2017年1月24日
このツイートは彼のメルマガ「高城未来研究所メールマガジン Future Report」 からの引用だと思われる。あるいは彼の著書か。
思想家であり、映像作家でありクリエイティブに関するコンサルタントのような事もしているようだ。
更にギャンブル雑誌やスポーツ新聞に連載を持っていた事も。
彼は、縦横無尽の知識の中に急に最先端の発想が盛り込んでくる。いきなり仏教の話からGoogleの話になる事も普通だ。
彼の著書は今現在読書中のものを含めて2冊。
「モノを捨てよ」は読了して、いまグレーな本を読んでいる。
なんで今さら、と言われたら都内で職に就くことになり、そこの上司に図書館の利用を勧められたからだ。都内の図書館には読みたい本がたくさんあることに気がついた。
読書とはほぼ無縁だった私でさえ、実は読みたいと思っていた本がいくつもあることに気がついた。Amazonの欲しいものリストには何冊も買おうとしていた本がストックしてあったし、それらは都内の図書館ではマイページにログインして取り寄せ予約をしておけば良い。無料で読ませてくれる。すごい便利。
時間はあるけど金はない若者なのでこれ幸いとばかりに去年の暮から本を借りまくっている。
閑話休題。
なんでこのエントリを書こうと思ったか。
『グレーな本』から受ける影響があまりに大きかったからアウトプットせずにはいられなかったのだ。出来る限りのスピードで殴り書きをしているので乱文になるが、元々大した文章は書けないのでご容赦願いたい。
『モノを捨てよ』でも『グレーな本』でも彼の根底にある概念は貫かれている。
「日本人よ、脱藩して世界を見よ」と彼は繰り返し説いている。
彼は若くして日本を飛び出し、映像制作をはじめとした様々なクリエイティブ職に関わりながら生きているようだ。映像、DJ、あるときは官公庁で、あるときはバルセロナで、あるときは上海で究極のノマド生活を送っているのが高城剛だ。
結局どのようにして生計を建てているのかさっぱりわからないところが彼の魅力の1つ。ちなみに彼の結婚のときにも話題になった「ハイパーメディアクリエイター」という肩書は、彼が学生の頃受けた取材で、その記者によって名付けられたという。
実は「自称」ではなく「他称」であったらしい。「あらゆるクリエイションを横断的にやるのがこれからは当たり前の時代であるのに、学校では縦割り的に映像、音楽、脚本などそれぞれの分野しか教えてくれない」ということへの反抗心めいた気持ちが込められている。
彼は胡散臭い。
だがイケハヤ氏もだいたいの人間からは胡散臭がられている。
イケハヤ氏については説明を省かせていただくが、この両者に共通しているのは「クリエイター」であることだ。
イケハヤ氏が妻と娘と3人、高知を拠点に幸せな家庭生活を営んでいるのに対して
高城氏は世界各国をボーダレスかつホームレスに飛び回るハイパー遊牧民な生活を送っている。
しかし彼らには強烈なまでに同じ部分がある。
それが書きたくてこのエントリを書いている。
それは「日本式システムに真っ向から喧嘩を売っていて、時代の先駆者となっていること」だ。
ここで言う「日本式システム」とは高城氏の言葉だ。
「日本式儒教に基づいた観念・イデオロギーであり、日本の先輩後輩の上下関係を固定しているもの。日本の若い芽、イノベーター、クリエイターを叩き潰す概念。日本が衰退している一番の原因となる悪しき伝統。」(※ざっくり要約)
彼らに対する世間の風当たりの強さはきっと彼らにしかわからないだろう。両者とも物凄く強靭なメンタルを持っているのだろうが、それにしても辛い時期があったに違いない。
出る杭を打つ習慣が日本では特に強い。私自身、意図せずそうした思想を持っているとハッとすることがある。
また彼らに共通しているのは「合理的」ということだ。特に職業感についてそれは顕著だ。
日本人の美徳、「根性」や「気合」といった意味不明な精神論で、結果ではなく過程を重視しすぎる傾向。頑張っていればいいという無責任な姿勢を否定していることに私は強く共感を覚える。
だが彼らの合理性はちっとも冷たくない。むしろ現代日本の息苦しさに溺れかけている若者を救い出す温かさがある。
「環境を変えればうまくいく」のは「モノに執着するのを止め、手放し、世界を自分の目で確かめること」ととても近い。
自分が上手くいかないのは努力のせいでも才能のせいでもなく、環境のせいであると。この考え方に私は少なからず救われている。
一言フォローするとすれば、「環境を変える」のは一度ではダメで、「うまくいくまで試行錯誤して環境を変え続ける」というコストありきの努力だということ。
イケハヤ氏も高城氏も人一倍自分の世界を追い求め、他人の何倍も自分の好きなものを追求しているのだ。
環境のせいにするのは「日本的システム」から言えば悪徳だ。
すべては自分が未熟なせいであり、それを克服するには先輩(=権力)の力を借りずに自分たち(=若者、弱者)の力でなんとかせよ。それはあなたたちのためなのだから、というのが日本的システムの大義名分だ。
それでいて優秀な人間が既存のフレームを破壊しようとすると全力で阻止する。
根性や頑張ることを止め、自分の好きなことを追求する。
それはとある場面では、
サービス残業ばかりで消耗する正社員を辞めて派遣社員となって、
定時で仕事をあがり、自分の将来のために本当に好きな料理の勉強や海外を旅するために英語を学ぶ日々を始めることかもしれない。
きちんと将来を見据えてアクションを起こす。
「せっかく入ったのに」と周囲に引き止められても、自分の人生なのだからと
退職して好きなことを追う道を選ぶ。
それが現代日本の低成長や閉塞感を打破する鍵なのだと。
まず私自身から信じてアクションを起こしていこうと思う。